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【ネット通販成功の秘訣】パソコン一台で、ネットオタクから年商15億円の流通革命家となった奇跡の物語

 2017/09/10 成功事例
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筆者の友人に、俗に言う『ネット界の完全勝ち組』と呼んで差し支えない男性がいます。

彼が、父親の経営する厨房機器屋さんで仕事をしている頃、時代はまだパソコンやネット自体も社会にそれほど浸透もしておらず、パソコンの前に座ってまともな仕事をしていても、すぐに「パソコンオタク」だの「ネットオタク」だのと陰口を叩かれた時代です。

そんな時代に、いち早く楽天市場に出店し、凄まじい情熱と努力で倍々ゲームの如く業績を上げていったのが、ひとなつこい笑顔の持ち主のO社長です。

とうとう今では、社内のシステムは海外へアウトソーシング、出荷は大きな流通拠点のある静岡県浜松市に移転。

オンラインショッピングサイトは、楽天市場で6サイト、(Yahoo!ショッピングストア)で2サイト、他を含めて全9サイト、約40~50万点の商品を有し、厨房機器や調理用品の商品数の多さでは他の追随を許さないという一大王国を創り上げました。

そして、O社長は今、また次のステップとして、システムの海外移転のみならず、海外の商品も自社で取り扱うべく、焦点を海外に向けてきています。

1人のネットオタクと呼ばれた男が父親の会社とは別に起業し、海外進出までも果たした軌跡は、これからネットの世界で起業しようと思っている方にも、ネット以外の起業家にもとても参考になるのではないかと思います。

1.ネットオタクからの始まり

1.1.2代目、父との確執

O社長は、1967年生まれの今年(2017年)で丁度50歳。
パソコンをいじりだした20代初めの頃はまだデスクトップパソコンが優勢で、価格も高く、大きなデスクトップが燦然とオフィスのデスクに鎮座していた時代です。

父親の経営する厨房機器会社は、大都市の飲食業界に馴染んではいましたが、ぼちぼちと安い中古厨房機器へのニーズも起こり始めていましたし、100円均一のキッチン用品の台頭や、何よりも昔ながらの得意先のみ相手の商売では先行きが見えないとO社長は感じていました。

しかしながら、会社を興した初代(父親)は中々頭が固く、ご自分のやり方を曲げようとはしない。そして、2代目や周りと衝突という絵に描いたような構図がO社長の所でもありました。

1.2.Macの前のオタク君

O社長がパソコンというものをいじりだしたのは、最初は20歳位でNECのPC-9801全盛の頃で、Macには25歳位で乗り換えました。当時はまだ、大きなMacの前に座って正規の仕事をしていても、「パソコンオタク」だのと陰口を叩かれた時代です。今では人工頭脳のAIが社会を支配し始めていると言われる時代ですが、当時はまるで「パソコンをする人は変な人」みたいな言われ方をすることさえもありました。しかし、Macの創始者スティーブ・ジョブズが憧れのこのO社長、ふつうのネットオタク君ではありませんでした。

1.3.処分品をヤフオクに出店。ネットの可能性に気付く

O社長の趣味の一つに当時はまだ出品数も少なかったネットオークションがありました。もちろん最初は趣味で欲しいものを落札したり、眺めていたり、O社長とて仕事に活用していた訳では有りません。そんな時です、従来の顧客さんから中古の厨房機器を20台処分して欲しいという依頼が社長に入りました。

そこで、O社長はひらめきます。「中古の厨房機器も台頭してきている今、処分品とは言えまだまだ使えるこの厨房機器をネットオークッションに出品したらどうなるのだろう?」と。 結果は見事、1台1万円で販売する事が出来たのですが、社長が得たものはもっと大きなものでした。

O社長は、ネットオークションで売れた厨房機器から、『ネットの世界の向こう側には、従来の顧客様のようには顔も知らないけど、ウチが扱っているような厨房機器や調理器具を必要としている人が沢山居るのではないか?』という事に気付きました。この気付きが今の40万点のネットショッピング王国を生み出すきっかけになったのです。

2.楽天出店

2.1.2001年楽天出店

ネットオークションで厨房機器が売れ、オンラインショッピングの大きな可能性に気付いたO社長は、2001年に楽天市場に出店します。楽天市場は1997年に、Amazonは2000年に開設。ネット上でモノを売るという商法はまだ始まったばかりで、品数も少なく、大手でもまだまだ参入を決めかねていた企業も多くありました。勿論商品もほとんどが段ボールの箱に入る程度の大きさで、買う側の我々も、本当にインターネットで注文して、商品が来るのであろうか、騙されないのだろうか、といぶかる人も多くいた時代です。

社長が楽天を選んだ理由は、最初はYahoo!に問い合わせたものの、募集がなく、非常に出店のハードルが高かったようです。そこで、Yahoo!の検索で「ネットショップ」で検索をしたら楽天市場があり、電話をしてみたら、さすが「営業の楽天」というだけあって何度も出店のお誘いがあったので、半年だけやってみるかな?と出店したのが楽天との始まりです。ですから当時は、楽天市場や三木谷浩史社長の名前すら知らなかったと振り返ります。

2.2.半年で30万円の出店料

当時をO社長が振り返ると、楽天市場の出店料が月に5万円、半年契約なので30万円。2001年頃の30万円というと、今の価値からはもっと高く、売れるか売れないか、成功するかしないか、はっきりしない事業に初代の社長が納得するはずもなく、O社長は自分でその資金を集めて楽天市場に乗り出しました。O社長、34歳の起業です。

2.3.車で2時間の都市からの注文、トラックで配達を

楽天市場に出店したものの直ぐには売れません。しかし、暫くすると車で2時間ほど離れた都市から、新規カフェオープンの為の厨房機器や什器一式の注文が入りました。

まだ大型商品の配送システムすら知らない状態だったので、O社長は受注商品一式をトラックに乗せ、自ら運転、現場で設置して100万円ほどの大きなお仕事になったそうです。

2.4.大型業務用機器の流通革命を起こす!!

その時にご注文して頂いた中に業務用大型冷蔵庫があったのですが、これは、さすがに自力では運べない。それで、普段付き合いのあるメーカーの担当者に連絡をしたら、その都市でも拠点があるので大丈夫という事で、そちらから納品してもらいました。

これがきっかけで、O社長は自分の営業エリアしか大型商品は納品できないのだという思い込みを捨て、大型の厨房機器や調理器具もインターネットで注文を受け全国に販売できるというシステムを構築・強化していきました。

今では当たり前の事ですが、【大型業務用機器を全国に届けられるシステム】をきちんと取り組み、最初に整備したのはO社長で、当時は画期的な取り組みとして厨房機器業界の流通に革命を起こしたと言っても過言ではありませんでした。

3.情熱とたゆまぬ努力

3.1.3年で月商500万円へ

2001年の楽天市場出店から約3年。かき集めた資金で出店したネットの中のO社長のオンラインショップは、売上ほぼ0円から3年経って月商で500万円になってきました。

顔は知らなくてもリピーターとしてお買い上げ下さる常連様も増えて来た頃、O社長はこのネットショップをもっと強固なものにしようと、法人化します。2004年有限会社の設立です。

現在では、現物出資を上手にすれば、資本金もすごく少なくて株式会社を設立することも可能です。しかし当時の会社法では、株式会社は1000万円、有限会社は300万円と資本金の金額は法律で決められていました。

当時30代半ば過ぎの青年社長が、2代目としてではなく自力で育てつつあったネットショップの利益から、300万円を出資して設立した有限会社はとても価値のあるものだと筆者は評価しています。

O社長のメインのネットショップの母体は、資本金が1000万円になり最高売り上げが15億円になっても、今も有限会社を名乗っています。そして、2005年の会社法の改正に伴って、有限会社自体が新しく設立できなくなった今、かえって輝きを放っています。

3.2.かけがえのない仲間 ~同じ情熱の熱さで~

このように、思いがけないネットショップ設立から駆け抜けてきたO社長ですが、振り返るとやはり1人では出来なかった、同じ情熱の熱さで一緒に駆け抜けて来てくれた仲間の存在がなければ今の自分も会社もないと振り返ります。

O社長を含めて3人がスタートメンバーでした。まず男性のKは、O社長のネット仲間で他のショップも運営していたのをO社長が誘ったもの。その後、車関係の仕事に就きましたが、後にコンサルティングという形でO社を手伝ってもらっています。

そして、Y女史。ともすれば社員に対して熱くなってしまうO社長と、社員の間をとりもち社内をまとめてくれるかけがえのない存在です。又、Y女史は細かな事から新ブランドの立ち上げまで、まさにO社長の右腕そのもので、Y女史なくしては会社の繁栄はなかったと言っても過言ではありません。

起業や会社の経営にとっては、このかけがえのない仲間を得られるかどうかは、成功のかなり大きな要因となるかも知れません。家族・友人・知人・募集人員、経営者を取り巻く人達の関係性は様々ですが、要はどれだけ一緒の温度感を持って目標に向かって走っていける仲間がいるかが大切だとO社長は語ります。

3.3.朝まで仕事、Uターンして仕事

当時のO社長たちの働きぶりは凄まじいものがありました。
小さな部屋の中で、受注をする・梱包をする・発送をする・新商品をアップする、最初は全て3人です。

わずかにパートの人は増えていっても3人の仕事は延々と続きます。
立ち上げた当時は、どんなに仕事量が多くても、外注する資金さえありません。

しかし、O社長は、脇目も振らず、同じ情熱の温度と何としてもこのネットショップを成功させるのだという想いを持った3人でやっていた、あのがむしゃらな頃が一番楽しかったかも知れないと振り返ります。

普通に業務を終えられるとしても、早くて日付が変わる頃、終わらない日は朝方まで受注・梱包・配送・商品登録の繰り返し。

特にY女史に関しては、主婦で母親でもあり、パートからこのような状態になったので大変です。早起きして朝食・子供のお弁当・夕食の準備、掃除・洗濯。そして、夕刻には一度家に戻り家族に食事を取らせてから又会社にもどり、業務の続きをするという生活でした。

会社の成長度合いが早すぎて、3人が付いていくのに大変という状態でもありました。

そのY女史が今では常務取締役となり、対外的にも様々な重要な部門を受け持っています。O社の歴史は、社長だけではなくパートの立場から働き出して、常務取締役まで出世したY女史のサクセスストーリーでもあります。

3.4.ロングテール戦略で倍々ゲームに

 

ご覧なった事がある方は分かるでしょうが、プロ用の厨房機器や調理器具のカタログというのは、まさに百科事典の如くの分厚さが有ります。

O社長たちの新生ネットショップは、カタログの中から商品を切り抜きそしてショップ上に登録という気の遠くなるような作業をひたすら繰り返していたのです。

又、ロングテール戦略という当時注目されていた戦略も取り入れます。これは、潜在的にはニーズがあってもまだビジネスの対象とはなっていない、主力商品以外のいわゆる【ニッチ(隙間)な商品】もサイトに登録することで集客を図り、全体の売上をアップさせるというインターネットビジネスの商法です。

これには、大変な破壊力がありました。月商500万円だったものが半年もしないうちに月商1000万円に! 年商にしたら億越えの達成です。

3.5.5年で年商5億、10万点の商品に

当時の平均的なネットショップの商品数は、大体数千点というのが普通の時代でした。しかしO社は、開設から5年後には約10万点となりました。年商では5億円の達成です。

商品点数の多さ×全国のユーザーの購買力の凄さは、留まるところを知りませんでした。

次は商品点数100万点、これを目標としてぶち上げました。

3.6.楽天市場「ショップ・オブ・ジ・エリア2010」受賞

一度軌道に乗った売り上げは、倍々ゲームのようなスピードで増えていきます。その結果、設立当初は考えもしていなかった楽天市場での受賞も果たしました。

『楽天市場 ショップ・オブ・ジ・エリア2010』です。

この頃にはイケイケ状態で、厨房機器から理美容用品・雑貨・文房具・工具などなど。

それぞれの専門店でなくても売れる時代でしたから必要と思われるものはどんどん集めて登録していきました。

普通の対面の商店なら、それだけの在庫を店頭に並べることは、ほぼ不可能でしょうが、在庫を持たなくてもよいネットショップではそれが可能です。これがネットショップの醍醐味の一つでもありました。

4.年商15億円となり海外や流通拠点へのアウトソーシング

4.1.『楽天市場 ショップ・オブ・ザ・イヤー2014』受賞

ますます右肩上がりを続けるO社長の楽天市場のショップは、2012年には年商10億円を達成します。これよりもっと前から筆者はO社長やY女史とお付き合いさせて頂いていましたが、見ていても、『破竹の勢い』というのはこういうものなのかと外野ながらに感じていました。

筆者は2007年頃からO社長達と出会い、当時忙しすぎるO社長とY女史のメンタルコンサルとコンプライアンスの整備や諸々の案件解決の為に良く連絡を取りあっていましたが、とうとう2014年には楽天市場の厨房機器・調理道具部門で日本一となる『楽天市場 ショップ・オブ・ザ・イヤー2014』を受賞します。晴れなる栄冠です。

4.2.社会が変わる

この頃になると、だれもO社長の事を「パソコンオタク」だの「ネットオタク」だのとは言いません。いや言えません。

2011年の10月には、楽天出店10周年を記念してO社長は記念イベントを開催しました。その大都市で一番格の高いホテルの一番大きな会場で定員130名のジャズ・ディナーチャリティーショーです。

参加者は、O社の社員と取引業者以外はほとんどの方がその大都市での企業経営者や法律家・銀行家・個人事業主で、参加した方々は改めてO社長の人脈の広さに驚いたと感嘆していました。

O社長曰く、「年商10億円を超え、初めて認めてもらえるという信念があったが、それでもやはり当時は、ネットショップは普通の流通の企業より格下に見られていた。しかしあのパーティーをきっかけに、僕の周りの社会が変わりました。銀行家などは、「社長、どうしてああいう方達とご懇意なのですか?」という質問をする人さえいました。

そして、このチャリティーイベントの収益金の一部を同年3月11日に発生した東北の震災・津波被災者の方々への義援金として寄付させて頂くという事もO社長はイベントに組み込みました。

又、サイト上で被災した顧客様には何らかの値引きや特典もしばらくの間は続けていました。

『企業の最終目的は社会への還元』と筆者は思うのですが、まさにそれをO社長は実現している経営者となっています。

4.3.一本の電話 年商15億へ

そして、このパーティーの前後に、筆者はO社長とY女史と3人で、今度の記念イベントは出来るなら3年後の2014年の、ネットショップの母体となる有限会社設立10周年記念だねと話していました。

その時筆者がさらりと「社長、次の2014年の会社設立10周年記念日には年商15億円が目標ね。」と激励しました。O社長は、「厳しいなあ・・」と言いながらも、穏やかな笑顔の中にも、光っている目を筆者は見逃しませんでした。

人から言われるまでもなく、O社長の心中には次の目標がはっきりとあったのでしょう。

しかもそれには3年は掛かりませんでした。忘れもしない翌年(2012年)の8月、お盆で実家に帰省していた筆者の携帯にO社長からの電話が!「先生、15億円達成しました!」お話をしていた前年の10月から約10か月弱での達成です。恐るべき情熱と行動力です。

人には、叱られて伸びるタイプと褒められて伸びるタイプがいると言われます。O社長の場合は、どちらかといえば褒めて伸びるタイプなのですが、もっと正確に言うと、目標だけをそっと告げておけば勝手に脳内スイッチが入って社長の脳内のパソコンが動き出し、目標に向けて走り出すというパターンです。

自分で決めたことは必ずやっていく、『有言実行』の見本みたいな経営者です。O社長自身のポリシーに、『言い続ける事・諦めない事』というのがあるのですが、まさにそれを実行していますね。

4.4.海外へオペレーションセンター移転

ここまで書き進むと、O社長の起業と会社経営には何の問題もなく順風満帆に進んでいるのだろうと読者の皆さんは思われる事でしょう。

しかし、そんな夢物語のようなサクセスストーリーは世の中には中々ありません。O社長とビジネスパートナーのY女史も、余りに急激に急成長したネットショップであるがゆえに、解決しなければならない問題点を抱えていました。

まず最初に、社員達との温度差です。

熱い思いで駆け抜けてきたO社長と社員達の温度差。社長は、社員も皆自分と同じ情熱の熱さや目線で進んでくれているものと信じていたのでした。

しかし、創業当時を知らない社員達とは分かち合えないものがありました。大きないさかいはないものの、退職者が出たり、社長自体が若い社員に注意をせずに黙っているという事が疲れてしまう自分に気付きました。

それと余りの急成長と、業界屈指の商品点数の多さに、オペレーション業務が付いていけなくなったり、お客様に専門的な説明が出来なくなったりなどのマイナス点も出てきました。

そんな点に関して、O社長は素直に自分の非を認め、テレビの「しくじり先生」に出られるくらい足元が見えてなかった時期もあると言います。時間や業務や数字に、社員だけではなく自分たち経営陣も振り回され疲弊していたのでしょう。

そこを直ぐに改善できないのがよくいる経営者なのですが、O社長の場合は気付きがあると後は実行あるのみです。又、O社長と社員達との間の取り持ちも、Y女史が女性ならではの柔らかさと懐の深さで沢山解決をしていきました。

そして、経営の改善点としては、会社の経費に於いて多くを割く人件費を、海外の会社に出来高制で任せます。この会社は日本企業のオペレーションセンターが多数業務委託しているようです。

多くの注文はネット上で行われるので、システムさえ理解できれば受注はどこでやっていても問題はありません。勿論、未だに本社での電話対応や注文も受け付けています。海外に受注や商品登録の拠点を置くというのは勇気のいる事でもありましたが、新しいO社を生み出すには必須の事で、それを実行する頭の柔軟性がO社長にはありました。

4.5.浜松市への出荷センター移転

次に本社にあった出荷センターも、静岡県浜松市に移転しました。浜松市は本州のほぼ真ん中、日本列島にとってもほぼ真ん中なので厨房機器や調理器具に限らず、あらゆる業界の商品がそれぞれのメーカーから集まり、顧客に配送するのに便利なので、日本の一大流通拠点となっています。

O社長のネットショップも、出荷センターを浜松市に移転することにより、懐かしいながらも日々顧客へ発送していたという大変手間のかかる業務がより専門化されたシステムで外注できることになりました。

4.6.スリム化した社内

オペレーションセンターを海外に、出荷センターを静岡県浜松市に移転したことで、社内は大変スリム化しました。受注・発送・登録はアウトソーシングの出来高制で契約をしているので、O社独自の社員は、純粋に【考える事】が仕事のメインになりました。

今まではメインが、受注・発送・登録と、作業に追われていた社内の空気が、がらりと変わり【考える事】と【コミュニケーション】に時間を使えるような社風が誕生しつつあります。

4.7.次のターゲット ~そしてこれから~

そして次のターゲットとしては、O社長の目はもう海外に向いています。自社の現在の9サイトに加えて、新たに海外の調理器具や様々な商品を自社で流通させたいと考えています。まだ日本では紹介されていないような秀逸な商品を見つけ出して流通させたい、いや正確に言うと、そういう商品も展開していかないと、このネットショップが蔓延している世の中を生
き残っていけないとO社長は感じているようです。

又、Y女史を中心として、新たなる自社ブランドも誕生しつつあります。

幸せなキッチン用品という位置づけで、最初の商品はハート形の鉄板です。ステーキやハンバーグを入れるあの鉄板を、新婚家庭や幸せな家庭、もちろん個人でも愛が溢れて幸福な気持ちになるような商品をと願いを込めて開発していきます。この最初の商品も筆者の所のデザイナーがデザインをして、筆者もブランド化に立ち上げの時に参加し、時間は掛かりましたが再び動き出したプロジェクトなのでとても楽しみです。また、世界一のヒノキである木曽ヒノキの食器や、様々なキッチン用品を開発していく予定です。

そして最後は、画期的なビジネスモデルの開発です。O社長が敬愛し尊敬するスティーブ・ジョブズとそのチーが“iPhone”を生み出したように、今の時代、強力な破壊力を持つビジネスモデルが生み出せれば、業界の勢力図は一気に書き換えられるとO社長は言います。ひょっとすると、そのビジネスモデルのかけらは、もうO社長の脳内に入っているのかも知れません。

O社長は、海外の商品の取り扱い・自社ブランドの開発・新しいビジネスモデルの構築を自分がリーダーのチームでアイデアを出しながら、情報を集めてクリエイティブに創り上げていきたいと未来を思い描いています。

4.8.ミッション・コンセプト ~成功した理由~

昨年秋、筆者はO社長の本社を久しぶりに訪ねました。仕事の話ではなかったのですが、O社本社の応接室階の玄関には、なんと、等身大のダース・ベイダーとR2-D2がお出迎えしてくれます。O社長は本当に柔軟な遊び心のある精神を持っています。

そして、久しぶりに通された会議室に、画期的なものを見つけました。何もなかった会議室の白い壁に、O社のミッションが大きな字で書かれていたのです。

 

すべての“行動”は すべての人への“感動”とせよ。
一秒は一瞬の喜びの為にネットショップだから出来ることを
おもてなしの頂点を目指す「心に残る仕事」を使命とする

 

と壁いっぱいに書かれているのです。そして、O社長がこれ以外にも筆者に語ってくれた成功のコンセプトとして、

「人の話を聴く」「せっかちであること」Y女史的に(笑)
「誠実で素直で謙虚であること」
「言い続ける事 諦めない事」

このミッションとコンセプトを守っていく限り、O社長とビジネスパートナーY女史の創り上げたO社は繁栄を続けていくのだろうなと確信しました。

まとめ

如何でしたでしょうか?【ネット通販成功の秘訣】パソコン一台で、「パソコンオタク」・「ネットオタク」から年商15億円の流通革命家となった奇跡の物語。O社長がネットショップを楽天市場で起業した34歳の頃は、世の中自体がまだパソコンやインターネットに深い理解があった訳でもなく、真面目な業務にいそしんでいても、パソコンに触っているだけで、「パソコンオタク」「ネットオタク」と陰口を叩かれた時代です。
インターネットでネットオークションを楽しんで、バイクとロボットが趣味のO社長は、今、この記事を読んでくださっているあなたとそうは違ってはいないはずです。

しかし、O社長が秀でていたのは、決めたことを必ず実行する根気とたゆまぬ情熱の炎でした。

そして、Go Stop Seeを繰り返し、冷静な判断が必要な時は熟考して切り替える。この能力に長けていたのがO社長です。

『情熱と冷静のあいだ』という題名の映画化もされた小説がありましたが、O社長は、自分個人の中にその情熱と冷静を上手く持ち合わせ、コントロールをしているように感じます。

ちょうど筆者がこの原稿を、O社長にインタビューをしながら書き始めたころ、筆者はふるさと京都で、京都のお茶が配合されたビール工房兼バーの立ち上げの総合プロデューサーに就任しました。市内に居抜きで物件を探し、工房兼バーを開店させるとオーナーさんは考えていたのですが、法律上の問題で、中々市内の思う所に物件が見つかりません。

しかし、やっと見つかった物件は、地理こそ京都駅に近く良かったものの、全くのスケルトン状態。はっきり言って屋根と壁があるだけという代物です。そこで筆者が白羽の矢を放ったのがO社長です。

ビールのタンクはアメリカから輸入するものの、それを設置できる職人さんは国内にそうはいないのですが、ここでもO社長の人脈炸裂です。京都と同じ近畿地方とは言え、かなり離れた地域から応援に来てくれることになりました。飲食店開業のコンサルタントとしてもO社長は非常に優秀なので安心して任せることが出来ます。

また、オーナーさんが開業にあたり用意して欲しいものに関して、ハードの部分では殆どがO社長の所で揃います。これが業界一、他の追随を許さない商品数約50万点の底力かと感嘆しました。

時代が彼を後押しした、そう考える方もいるかも知れません。しかし何よりも、仲間と共に夢に向かって歩みを止めない事こそが、何よりの原動力なのかも知れません。

筆者は題名に「奇跡の物語」と入れましたが、脱稿して思うのはO社長の物語は決して「奇跡」ではないのだなと。なるべくして、出来るべくしてO社は存在しているのだと感じます。

あなたも是非、【ネット界の勝ち組】の物語から何かを掴んで頂くと嬉しいです。

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ライター紹介 ライター一覧

櫻子

櫻子

職業は、心理カウンセラー・催眠療法士、不動産(マンション・シェアハウス・ガレージ)を姉と共同経営、各種デザイン・企画・プロデュースなどを口コミ依頼で受ける創苑主宰。

不動産経営の生まれ故郷京都とベースに住んでいる近県とを行ったり来たりしながら、カウンセリングと、口コミ依頼の様々な案件をこなす。

新店舗立ち上げ、巨大観光施設プロデュースから、小さな商品の開発まで、今までの経験と、多彩な人脈のネットワークを活用してこなす。今の所、企画・プロデュースのリピート率はほぼ100%

頼んで良かった、一緒に仕事が出来て楽しかったなどのご感想から、問題発生時には、ブレーンにいる様々な専門家の助言によって問題を解決し、正しい軌道修正を行うシビアさを持つ。

延べ3万人を超える心理カウンセラーのクライアントからの学びと、自分自身の事業やプロデュースの経験から、これから起業する人・起業しても上手くいかない人に気付きをもたらすような記事を書きたいと願っている。

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